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御歳神社の今と昔
御歳神社境内より、葛城山を望む
御歳神社境内より、葛城山を望む

由緒書のページにあります通り、御歳神社は大変歴史があり、神威も高く、由緒正しい神社であります。
付近には、古事記の舞台となった地名が、数多く見られ、葛城氏、鴨氏の本拠地であったとされる所です。渡来系の人たちも多く住み、製鉄の炉跡が見られ、、銅や鉄の産地もあり、紀ノ川を通じて海路も開け、交通の要衝として、また、先進技術を持つ集団が住む場所として飛鳥以前の時代の重要な地であったと考えられます。
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御歳神社は神を祀る場所としては、おそらく弥生時代頃からあり、葛城氏の繁栄の下、本社を奉斎していた鴨氏は、神々を祀る氏として権威を持っていたものと思われます。仁寿二年(857年)には大和国で本社が唯一最高位を授かり、その後も延喜式神名帳に、「名神大、月次、新嘗」と記され、農業神として、祈年祭などで篤く尊宗されていました。
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貞観八年(866年)の「三代実録」には、本社が、朝廷の任命した神祇官を拒否しているとあります。これは、おそらく、朝廷の意向を曲げる程権威のある、別の奉斎集団が独自にお祀りしていたのではないかと推察されます。また、同書に、貞観12年(870年)7月22日河内国の堤防工事に際し、河内国の水源が大和国にあるので、洪水の難を避けるためにと広瀬神、龍田神とともに奉幣されていることが記されています。
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現在の本殿は、江戸期に春日大社の本殿第一殿を移築したものであります。春日大社の本殿(国宝)は、江戸期までは20年に一度新しく造られていました。それを奈良市内からここまで移築するには大変な労力が注がれたと思います。大正期の神社調査書には、春日大社の本殿移築の前は、神明造のお社であったと書かれています。平安期以降、この辺りは長らく興福寺・春日大社の荘園であったようです。そういった経緯で、高鴨神社・一言主神社と同じく、御歳神社も春日大社の傘下にあったことが記録に記されています。
しばらく宮司が空位の時代が続いたと思われます。現在の宮司は大正時代に、御歳神社へ奉職するために、ここ葛城へ移り住んだ家の者です。ページを制作しています私は、これからここを継ぐべく、勉強している者です。御歳神社の由緒を知るほどに、大切にお祀りしなければと考えています。ただ、当地は、過疎化が進み、氏子も高齢化が進むに連れて、社殿の修復もままならず、社務所も建てられないままになっております。整備には資金も必要ですし、まだしばらくかかると思います。しばらく不自由をおかけすると思いますが、多くの方に来て頂き、神奈備(神の鎮座する山や森)の御歳山の澄んだ気を感じて頂きたいと思っております。
これから
私が継ぐことになり、何とか神社復興をと考えております。神社のあり方について、私はまだまだ無知でありますが、多くの方々と交わることで研鑚を積んで参りたいと思っております。神社の歴史も時代によって様々な変遷をしていますが、神社とともに神奈備の御歳山の静謐な空気をお守りしたいと思っております。
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神社復興にご協力くださる方、神社のあり方や御歳神社についてなどご意見ご感想をいただければ幸いです。また、古代史や神社に関してお知りのことなど教えていただければうれしいです。私は神社や古代史について調べ出したばかりです。HP上で検索して、たくさんのページがあり、様々に考察されているのを驚きを持って、参考にさせて頂いております。また、ネット上でも神社に興味をもたれるたくさんの方と交流させて頂いています。これからもよろしくお願いします。
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2004年秋記す  

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奈良県御所市東持田字御歳山
葛木御歳神社
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御歳神社地図をご覧下さい
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